とりあえずブログ

ゴトウヒデキの活動記録や活動していない記録、それから考えたことをつらつらと書きます。

「概念」ってなんだっけ?

たぶん今後「概念」を勉強することになったとき、楽に理解できると思うので考えてみた。

 

概念ってなに

概念て、人が考えを広めるための手段なのかな。もしかしたらみんな分かっている当たり前のことかもしれない。しかし今まで、専門書に「概念」とかFGOに「概念礼装」とか言われるたびに、なんだかわからなくてモヤモヤすると思ってきた。そう考えて今、腑に落ちている。

 

例えば、

“ 神 ”っていう概念はキリスト教の人が「私たちは作られた存在で、作った全知全能の存在がいる」ってことを世界中の人に広めたいから作ったわけで、

“ 部落 ”っていう概念はある人が「あの集団は悪くて嫌な奴」ということを他の人にも広めたいから作ったわけで、

ユーザビリティ  ”っていう概念もニールセンが人工物をより人にとって良いものするために「良いものの基準」を広めたいから作ったんだろう。(ニールセンの気持ちは予想だけど、そうじゃないとやらないはず)

 

つまり概念の内容はなんでもいい。広めたいことならなんでも。固有名詞でも、修飾詞でも、尺度でも、分野でも、

 

概念は、考えた人の頭の中にある状態が一番純粋で、その人の意思を反映している。

概念という頭の中にある状態ではふわふわしていて定まっていない。そこで伝え、広めるためには「定義」する必要がある。

ただ、そこでズレが生じる。ニールセンが「人工物をより人にとって良いものにしたい」と考えていたとすると、初めからUX(その先もあるけど)とか考え出してもおかしくない。でも、出なかった。

概念の「定義」は今ある状態がベストとは言い切れない。現実に定義されている文面は概念を考えた人のそのままの考え100%が出ていることは中々ないからだ。

実際、ニールセンが実際に定義したものはスモールユーザビリティ と呼ばれ、「人工物をより人にとって良いものにしたい」という考えを完全には実現できてなかった。

 

概念の「定義」が更新されていくことは良いことだ。それにより、概念は本当の姿に近付いていく。純度は高くなっていく。

スモールユーザビリティはビックユーザビリティになり、UX、サービスデザインになりさらに「人工物をより人にとって良いものにする」という願いに近づいていく。

 

【今後、概念と呼ばれるものを勉強することになったら必要なこと】

今ある概念の「定義」が本当にそれでいいのか疑ってみること。

また考えを言語化する(定義づける)には、どれだけ頭の良い人でもズレが生じてしまうと意識すること。

概念の「定義」は今より良い定義が見つかる可能性があり、今ある定義は現状での最高の仮説であること。

一番は、その概念を考え出した人が何を実現したかったのか、言いたかったのか知ること

概念は更新され、名称も変わることがあること

 

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頭の中の考えを、言語化することで発生するズレ…

意識と無意識という脳の奥深さを感じる。