とりあえずブログ

ゴトウヒデキの活動記録や活動していない記録、それから考えたことをつらつらと書きます。

UXはなぜ必要になったのか?〜ユーザビリティには、足りない〜

ユーザビリティからUX、ジョブ理論への移り

僕たちは自分のやりたいことを達成するために、製品やサービスを購入して使います。

 

つまり、製品やサービスには「ユーザーがやりたいことを達成できるか」が企業にとってもユーザーにとっても、重要な点になってきます。それができるかどうかで、ユーザーにとって「価値のあるものか無いものか」決まってきてしまうからです。

価値のないものは、ユーザーは買いませんので企業は潰れますし。価値がないものだと、ユーザーもなんか不満で気持ち良くありません。幸い今の世の中は、製品やサービスの実用的な面は満たしているので、使えはします。

そのため、ユーザーが我慢すればこのまま発展しないでも良いくらいの世の中にはなっています。ですが進化し続けるのが人間なので、さらに先に進むのです。だからユーザビリティはUXに取って代わられたのだと思っています。

 

 

 

「僕のやりたいことは何?」

さて、話を戻しましょう。

僕たちは自分のやりたいことを達成するために、製品やサービスを購入して使います。

そうだとすると一番気になるのが、自分がやりたいこと、「ユーザーがやりたいこと」とは「何か」というところです。

この「ユーザーがやりたいこと」をUXだと「価値」、ジョブ理論だと「ジョブ」と言います。

 

例えば僕はWALKMANを買って毎朝電車で使ってますが、「僕がやりたいこと」は何でしょう?

ユーザビリティの考えを基にするならこう言うかもしれません。

「 “ 毎朝電車で携帯音楽プレーヤーで音楽を聴く ” ことが ” 君がやりたいこと ” だろう」と。

つまり僕は “ 毎朝電車で携帯音楽プレーヤーで音楽を聴く ” ためにWALKMANを買い、使っているようです。

 

本当にそうでしょうか?

確かに、実際に僕がやっていることは “ 携帯音楽プレーヤーで音楽を聴く ” ことです。

ですが自分がやりたいことは、求めていることは、本当にやっていることと一致しているのでしょうか。

ちなみに僕は買いはじめこそWALKMANを買って毎朝電車で聴いていましたが、今はほとんど使うことがありません。

自分がやりたいことが “ 携帯音楽プレーヤーで音楽を聴く ”ならば、毎朝電車で聴き続けているはずです。

そこのところはどうなのでしょうか??

 

……ここまでがユーザビリティの限界でしょう。

 

 

UX、ジョブ理論の「本当にやりたいこと」

ユーザビリティが考える「ユーザーがやりたいこと」は実用的で合理的なことのみです。

UXやジョブ理論は、その裏側に本当の「ユーザーがやりたいこと」が隠れていると言っています。

僕は毎朝電車の中でWALKMANだけでなく、outubeから紙の小説や電子小説、スマホのゲームアプリや、スマホのニュースアプリ様々なものを使っています。そこからわかることは「僕は毎朝電車の中で携帯音楽プレーヤーで音楽を聴きたいわけではない」と言うことです。

 

そして僕はそんな風に試行してきて「自分が本当にやりたいこと」に気づいたのです。

それは「毎朝、電車の中は人が多いし立ってなきゃいけないし狭い、電車の中で感じるそのイライラを下車予定の駅まで、どうか気にしないように紛らわしてほしい」ということだったのです。WALKMAN買わなくてよかったことがわかりました。すごい高かったのに…。

 

 

「ユーザーがやりたいこと」と「体験」のつながり

そして「ユーザーがやりたいこと」を実現するにはそれを「体験」に落とし込む必要があります。

あなたはこう思うでしょう「なぜ体験に落とし込む必要があるんだろう?」「商品を作ればいいんじゃないの?」

いや、それでは足りないのです、「ユーザーがやりたいこと」を実現するには。

 

例えばイケアでは、新しい環境で自分及び家族の生活環境を整えようとする際に多くの人が感じる「明後日からは仕事だから、明日までに新居の家具を揃えたい」というものを「ユーザーがやりたいこと」に設定しています。

そしてそれを実現するには、提供する側(企業など)はどうする必要があるでしょうか。

まず、家具を買いに行くとき、おそらく子供を置いてはいけないので一緒に連れていく必要があります。しかし、子供ははしゃぎます。それに親はイライラしてしまいます。

しかしイケアには託児エリアがあるので、親が店内をぶらつくあいだ子供を遊ばせておけます。そして買い物が終わったあと、子供がいい子にしていたご褒美に、カフェやアイスクリームショップが用意されています。

また、「明日までに家具を揃えたい」というユーザーの思いに沿って、家具を車に楽に積んでいけるようにバラバラに梱包してもらえます。

さらに、すぐに楽に組み立てれるように、イケアの商品は1つの道具で組み立てられるようシンプルに設計されています。

 

子供を連れイケアで商品を買ってから家で組み立てるまで、一日の「体験」がデザインされることで「ユーザーがやりたいこと」が実現されているのです。

僕が思うに、本当に「ユーザーがやりたいこと」を実現させるには様々な要因があるのでしょう。商品の性能面やユーザーの感情面や立たされている社会的状況、時間による変化など。それらを全てデザインの対象に入れると、結果「体験」をデザインすることになったのではないでしょうか?

 

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一見、論理的にも整合性がとれているので、実用的なこと合理的なことが「ユーザーがやりたいこと」だと納得してしまう。

そしてそれは多くの人に共通しているから、それを達成しているデザインは「多くの人に応えている良いデザイン」に思える。

 

でも、実用的なこと合理的なことができてる製品やサービスは溢れ、コモディティ化している。

それは今や良いものでもなんともない。

 

実用的なこと合理的なことの裏に「その人がやりたいこと」がある。

その人は、本当に実用的で合理的なことだけができれば満足な人なのか?そんなにそれに満足しているのか?不満はないのか?その人は何を想っているのか?

 

「みんなの、一般的なジョブ」ではない(それは実用的で合理的なやりたいことだ)。

「その人のジョブ」を解決しよう。

 

 

 

(参考文献,HCDライブラリー人間中心設計入門:山崎和彦・松原幸行・竹内公啓,

ジョブ理論:クレイトン・M・クリステンセン,UXデザインの教科書:安藤昌也)